ただ、きれいだ、と思った。夜の光に照らされるその髪が、頬が、瞳が、大切な誰かの名前を呼ぶ、切実なその声が。いっそ神々しいくらいの美しさ、ぼくはあんなにきれいなものを見たことがなくて。
もっと、近くに もっと、ずっと
いっそ、ぼくのものになってしまえばいいのに
なんて、馬鹿みたいな願望が一瞬で体中を駆け巡った。
・・・ミツル、
君が呼ぶその名前が、ぼくのものだったらよかったのに。

どうかぼくたちを、

涙なんていらない。泣いてはいけない。君のそばにいるために、どこまでも強く、どこまでも、どんなにつらくとも泣けないほどに弱い君のそばにいるために、ぼくはないてはいけない。
思うのに、思うのに弱くも強くもなりきれないぼくの頬にはひたすらに滴が零れ続ける。
「・・・間に合って、間に合って、どうか、ぼくらを」
見捨てないで、女神様、あなたがほんとうにいるというのならば、彼を見捨てないで。
疲労と傷の所為で痛む足を、立ち止まりがちになる足をどうにか理性で動かしながら、永遠のように続く螺旋状の階段を上り続ける。早くたどり着かなければ、世界が終わる。早く、たどり着かなければ。
下を見てはいけない。高い場所にいるときに、よく言われる言葉。それは今確かに真理。きっと今下を見たら足がすくんで動けなくなってしまう。暗闇に覆われてしまった、ぼくらの世界。あんなに美しい世界が壊れかけているところを、ぼくは見ていられない。かといって上を見ても明るいわけではない。空にはどこまでも重たい雲が面倒くさそうに一ミリも動かず垂れ込めていて、つまらなそうな顔でぼくらを見下している。
「・・・ミツル、」
きみはぼくたちは敵同士だと言った。運命を変えられるのは独りだけで、もう片方はこの幻界のための犠牲にならなくてはならない。運命の塔の女神様にたどり着けなかったら、現世にさえ戻れない。運命を変えることはおろか、大切な人たちにすら会えない、二度と。だって、ハルネラははじまってしまった。
過酷だとは思う、けれどぼくらはそれでもいいとここまでやってきた。運命を変えるために、やってきた。やってきた・・・はず、なのに。
「・・・ぼくはもう、現世での運命なんか、どうでもいいとすら思ってる。」
この世界を守って、それでぼくたち二人ともが現世に戻ることができたら、それだけで、それが最善だと思ってる。ほかには何もいらない。父さんも、三人での、やさしく、ぬるま湯みたいにあたたかい家も。つらくても、きみのそばで生きていけたならそれだけでいい。きみを、失いたくない。美しいきみを。そうして、名前をよんでほしいんだ。
「だから、どうか、」
間に合って。そうして、女神様、あなたが本当に女神様だと言うのなら、やさしくうつくしい女神だというのならば、ぼくに、彼に、これ以上痛みを与えないで。ぼくたちを、この世界を、救ってください。きっと最後に頼れるのは、あなたしかいない。ぼくだけじゃ、運命を変えられない。それはぼくが何の力もなかった子供にすぎなかったときと変わらない。いくら強くなったからって、今もぼくは力のない子供だ。ぼくができるのはただ、たどり着くことだけ。たどり着いて、願うだけ。この世界と、彼らと、そしてきみの平穏、しあわせを。
もしぼくがきみのそばにいられなくて、このうつくしくやさしくあたたかいこの世界が壊れてしまうのならば、それこそ、
「・・・そんな運命、間違ってる。」
そんな神は、神なんかじゃない。
永遠を思わせるほどどこまでも続く階段を上りながら。


ぼくは、闇の声を聞く。







06/07/16
原作設定。初幻界。重くても暗くてもどうにもならなくても、やっぱり原作がすき。(桂木
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