美しい花

僕、宮原は思う。
三谷亘と一緒にいないときの芦川美鶴は落ち着いていると。
なんというか、泰然としているのだ。整った顔に隙なく引き締まった表情を浮かべて、何 も怖いものはないかのように、毅然とした目をしている。
でもだからと言って、三谷といる時の彼が慌ただしく落ち着きがないわけではない。三谷 といるときは…そうだな、不安定なのかもしれない。
三谷にだけ向けられる穏やかな微笑みに、時々不安定さがよぎる。温かさをたたえる目 が、水面に描かれる波紋のように、かすかに揺れる。
普段の彼からは想像もつかないくらいに、その顔は無防備で、僕は何か見てはいけないも のを見てしまった気になる。
芦川にとって、三谷の存在というのは何なんだろう。どういう経緯で二人が知り合ったの かは知らないけれど、宮原から見た限りでは、あんまり気が合いそうな二人ではないの に。
「なあ、芦川」
三谷が熱を出して塾を休んだ日、思い切って聞いてみることにした。
彼は机の上の物を鞄にしまいながら、目だけあげて僕を見る。
鋭い視線にたじろいで、情けないけれど僕は言いたい言葉を呑み込んだ。
「え…と、三谷今日休みだな」
「ああ」
三谷、と僕が言った瞬間、芦川の目の光が和らぐ。
ああやっぱり、と僕は確信を抱いた。三谷は彼にとって、なにか特別な存在なのだ。彼を 揺らめかせる、なにかなのだ。
それがなにかはわからないけれど、僕は少し羨ましくなる。自分を揺らす存在。たったひ とりの。そんな人がいるとは、どんな気分なのだろう。
「なぁ芦川。お前にとって三谷ってどんな存在なのかな」
しまったと思った。口が勝手に動いてしまった。芦川は怪訝そうに眉をひそめている。
僕は慌てて誤魔化そうとして、
「三谷といるときのお前、なんか無防備だからさ」
さらに墓穴を掘った。
芦川の反応がおそろしくて、僕はうつむいてうなだれる。
なにを言ってるんだ。直球すぎるだろう、自分。
「無防備、か…」
芦川が小さく呟く。僕はおそるおそる顔を上げる。
芦川は手を止めて、どこか遠いところを見ていた。
「そう見えるのか…」
独り言のようだった。僕はそれを聞いてはいけないんじゃないかと、罪悪感を覚えて焦 る。彼が見せる不安定な姿はいつも、泰然自若な彼を見慣れている僕を落ち着かなくさせ る。
「俺は、弱くなったのかな」
芦川は僕をまっすぐに見つめた。ひたむきな目をしている。一見冷めているような目の中 に、熱いものが陽炎のように揺らめいている。
「三谷が、好きなのか…?」
僕は思わず口走った。口走らせたのは、芦川の迷子のような表情だ。反射神経みたいに、 大脳まで届かない刺激がダイレクトに僕を動かした。
あの芦川が、こんな顔をするなんて。無防備で寂しそうで、そのくせ熱を秘めている。芦 川美鶴に、こんな表情をさせるものはなんなんだ。
きっと僕は、その答えを知っている。
「好きだ」
芦川は怯まなかった。
真摯な顔をしていた。そこに怖いものはない顔をしながら、一番怖いものがそこにある顔 だった。
ああ、これがそうなのか。
僕はそれを確かに知っていて、けれど自分の身に感じたことはなかった。
先ほども似たようなことを口にしたが、もう一度はっきりと言おう。
僕は芦川が羨ましい。
「不思議だな。すごい気が合ってそうな二人でもないのに…」
僕の言葉に、芦川は笑みを浮かべた。意地の悪い笑顔。その表情は彼によく似合ってい る。
「宮原。お前、人を好きになったことないだろ」
僕は息を呑んだ。もちろん図星だ。確かに僕は、芦川美鶴のようにひたむきに誰かを好き になったことはないのだから。
彼は笑みを浮かべたまま、右手の人差し指で自分の頭を指し示す。
「ここで考えるもんじゃないんだよ」
そう言って、鮮やかに微笑んだ。自分の想いを、誇るように。
ひらりと手を振って鞄を肩にひっかけ、颯爽と教場を後にした。
僕はとてつもなく美しいものを見た気持ちになって、その場に立ち尽くす。

彼の中に美しいものがある。美しい花が咲いている。

その香りに酔いしれるように、僕はゆっくりと深呼吸した。






06/07/16
映画では残念ながら出番が無かった宮原くん。密かにファンです。(香川

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