「アイスがない!」
冷凍庫をのぞき込んだ亘が、聞く人をも悲しくさせてしまいそうなくらい、悲痛と絶望に
満ちた叫び声を上げた。
…たかだかアイスくらいで。ソファの上でうとうとしていた美鶴は、その声に起こされて
ため息をつく。
ばたばたと慌ただしく駆けてくる音がして目を開けると、亘は美鶴をのぞき込むようにし
てソファの前にぺたりと座り込んでいた。
前髪の間から覗く大きな目が泣き出しそうに潤んでいる。
「…大げさだな」
「大げさじゃないよ!一大事だ!」
美鶴が再度ため息をつくと、亘は左右にぶんぶんと首を振った。まるきり子供の仕草だ。
「それで、お前はどうしたいわけ?」
仕方なく聞いてやると、亘はぱちりと目を瞬かせて、一秒後にはにっこりと微笑んだ。
今鳴いた鴉がなんとやら。
「一緒に買いに行こう、美鶴!」
「嫌だ」
もちろん即答だ。亘の笑顔が劇的に崩れ、この世の終わりを知ったかのような、ショック
を絵に描いたらこうなるだろうという顔をした。
本当に見ていて飽きない。
表情豊かな亘に、思わずくすりと美鶴が笑うと、亘はハッと我に返って美鶴にくってか
かった。
「なんでー!」
「お前が食べたいんだからお前が行けばいいだろ」
「美鶴だって食べたいでしょ?」
「別に」
素っ気なく返すと、亘は拗ねたように口を尖らせる。
「一緒に行こうよ」
「嫌だ」
「美鶴だけ涼しいとこで待ってるなんてずるい!」
出たな、本音が。
「わがまま」
美鶴の言葉に、亘はぐっと詰まった。
ああもう、仕方ないな。
「奢れよ」
美鶴はソファから起き上がって床に降り、すれ違いざまに亘の耳元にそう囁く。
背後で亘が歓声をあげた。
次の瞬間、背中にどんと衝撃を受ける。息が詰まった。
後ろから手が回されて、美鶴の体をぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう美鶴!」
すぐに体は離れて美鶴を追い越していった。
「お財布取ってくるから玄関にいて!」
美鶴はしばし動けずにその場に立ち尽くしていた。
触れた熱を体が覚えている。その熱が移ったように、触れられた部分や顔が熱かった。
美鶴は自分の頬に触れて嘆息する。鏡で見なくても火照っていることがわかった。
「…振り回されてるな」
でもそれは、決して不快ではないから質が悪い。
外は蒸し暑かった。当たり前だ、夏なのだから。
蝉の大合唱が不快指数をぐいぐいとあげていく。まだ外に出たばかりだというのに、早く
も首筋や背中に汗が滲んだ。肌が陽射しに灼かれて、ちりちりとした痛みを訴える。
亘は自転車を取ってくるために駐輪場に向かった。いつまで待たせるのかと、早速来てし
まったことを後悔する。
「お待たせ!」
亘は元気なものだ。自転車を押しながらぴょんぴょんと飛び跳ねるように駆けてくる。
「遅いぞ」
「ごめんごめん」
美鶴の不機嫌顔にこんなにも頓着しないのは、妹のあやと亘くらいだろう。むっとした美
鶴にわき腹を軽く押されても、亘はにこにこと笑っている。
「さあ行こう!」
笑顔のまま亘が自転車を指さした。自転車のサドルを。
「俺に漕げって?」
美鶴は笑顔を浮かべて、小首を傾げるようにして亘を見た。亘の笑顔が凍る。
「だって美鶴の方が重いし…ね?」
「ほとんど変わらないだろう」
「そんなことないよ!きっと!」
きっとかよ、と美鶴は鼻で笑おうかと思ったが、話が長引きそうなので止めた。こんな暑
い場所にはなるべく長くはいたくない。だからさっさと決着をつけることにする。
「言い出しっぺだろ」
美鶴のその言葉に、亘はがくりとうなだれた。
亘と背中合わせに荷台に跨る。陽射しは相変わらず容赦なく肌を灼くが、左右に流れてい
く風が心地よい。
背中のほうでは、亘が荒い息をつきながら必死でペダルを漕いでいる。
触れ合った背中が熱かった。それは決して体温や夏の暑さのせいだけではなくて。
美鶴は亘の背に寄りかかって目を閉じた。風が美鶴の髪をかきあげ、熱を持つ肌を撫でて
通り過ぎていく。
目を閉じても、まぶた越しに陽射しが差し込んでいるのがわかった。太陽に透かした手の
ように、眼裏が赤い。
ああ、世界はばら色だ。
06/07/18
美鶴さんツンデレ乙女警報発令!(香川
戻る
|