夜空が赤い。
それはぽっかりと浮かぶあの血の色をした星の所為。
やさしくぼくらの旅路を照らしてきた月の光は細く微かで、月そのものすら空にかすり傷がついたようにしか見えない。森の木々も、町も、人々も、暖かい空気すらもその赤色に染められてしまったようで、今は何もかもが冷たく重く、なのに、胸が苦しくなるほどに熱い。ずきん。ずきん。痛みはあの赤い星のせいか、それとも夜空のかすり傷が、ぼくの胸を痛めつけるのだろうか。
「・・・くるしいよ、」
暗い空気を少しでも払拭しようと明るい音を立てているミーナたちサーカス団やそれを取り囲むキ・キーマたちの輪から外れて、薄暗く赤い夜空、町の外れ、森の入り口のあたり。樵たちが切り倒したのだろうか、いくつか並んだ切り株の上に腰掛けひざを抱えたワタルがつぶやいた。
くるしい。
どちらかが犠牲にならなければいけなくて、自分が犠牲になることも、自分が願いをかなえて彼が犠牲になることも、どちらもくるしい。あえて言うのならばおそらく、後者のほうが。おひとよしだと、また言われたとしても。
「・・・ぼくは、もうきみには会えないのかな。」
会えずに半身になるしかないのだろうか。あんなにきれいなもの、ほかにぼくはしらなくて、こんなにもほしいとおもったものは、ぼくにはほかにはなかったのに。家族の平穏ですら、それには勝てないと言うのに。
「会いたい。」
ぽつり。ぽつり。言葉が零れていく。
と、顔を伏せぎり、と手に力をこめたとき。
「なら、会いにくればよかったのに。」
がさり。葉を掻き分ける音がして、次いで歌を奏でるような、胸のそこをさらうような声が聞こえた。顔を上げる、と、そこには。
「・・・ミツル、」
赤い光を色素の薄い髪に肌に受けて、怖いくらいにきれいに笑う彼の人の姿。きれいすぎるその姿は嘘臭いほどで、もともと嘘みたいなくらいにきれいだったのに赤い光を受ける彼のそれはより顕著になっている。まるでここにいないみたいだ。・・・ああ、もしかしたら幻影なのかもしれない。だってここは幻界だ。ぼくらの想像が世界に影響を与える世界なんだから。
「何、呆けてる。まさか俺を蜃気楼か何かだと思ってるの。」
そんなワタルの思考を読み取ったかのように、ミツルは首をかしげた。がさり。がさり。あの音は闇をかきわけ消し去る音だろうか。それとも呼び寄せる音だろうか。
「・・・なに、なんできみがここに、」
いるの。いるはず、ないのに。だってきみは今とおい海の向こう。
「・・・べつに、一度行った場所に戻ってくるくらい簡単だから。」
ここをどこだと思ってる、忘れたの。
「でも、だって、きみはもう願いをかなえに行ったはずで、」
いつものきみだったらこんなむだなこと、するはずないのに。
「お前には、たくさん借りがあるからな。」
「そんな、全然ないよ。あったとしても・・・もう、返してもらったじゃない。」
寺院で助けてもらったときに。
「お前が思ってるより、俺はお前に借りがあるんだ。」
かさ。かさかさかさ。長いローブのすそと短い草がこすれる、音。音と共にミツルが近づく。ああ、どうして彼の肩の上でゆれる赤く染まった金色の髪はあんなにもきれいなの。ほかのものより染まる赤色がつよくかんじるのは彼の肌が白くうつくしいからだろうか、それとも、それとも。
今にも消えてしまいそうなはかなげな金色と、つよくなる赤と、深まりそうなほどの黒、そのコントラストはまるで今のこの世界のよう。彼が世界なのか、世界が彼なのか。彼の世界はきっとどこまでもきれいでうつくしくてゆめのようで、いたい。いたいほど、くるしい。
「・・・なにをしに、きたの。」
「なにって、お前に会いにだろ。」
「なんで、」
「なんでって。さっき言ったじゃないか、」
借りを返しに。
「でも、だから、もうそんなのは、」
「良いから。だまって返されておけよ、そういうのはさ。」
「・・・、」
うまく言葉がでてこない、まとまらない。それはきっときみのせいだ。
ミツルが後ろに回り、ワタルが座る切り株に、背中合わせに座った。
つめたくてあたたかい、体温、は、ローブと防具に阻まれ微かにしか伝わらない。ぼくときみとの距離を暗示してるみたいだ。泣けてくる。距離は遠いし、世界はこんなにもままならなくてこわしたくなってしまうほどなのになのにきれいで、どうしようもないくらいにきれいでこわすことなんかできない。すべてすててしまいたいのに。
「・・・俺は、」
短い沈黙をおいて、ミツルが言葉を零す。あたまにかさ、という感触を感じるから、ミツルは上を向いているのだろう。ワタルはうつむく。
「俺はこれから、」
「・・・ミツル、」
何か言おうとしたミツルの声をさえぎる。と、ん、と不機嫌そうな、けれど尋ねる発音の言葉と言うには短すぎる音が返された。
「・・・逃げたい。」
「は、」
「逃げたい、この世界から、この運命から、全部から、逃げたい。」
ぽつり。ぽつり、ぽつりぽつりぽつり。
弱い言葉が涙のように零れだす、きみはきっとそんな言葉見たくもないだろうに、ああ、きみを幻滅させる、けれど涙が簡単には止められないように言葉も止まらない。ままならない。ままならないことばかりだすべて、すべて。すべてが、こわしたいほどいやになるのにおなじくらいにうつくしいだなんて、そんなこと。
「どうしてこんなに、重いの。ぼくは、・・・ぼくは、願いをかなえたいし、運命を変えたいししあわせに暮らしたい、けどきみが半身になるのなんていやで、ぼくが半身になるのもいやで、それに、この世界の人から、ぼくのしってるひとたちが半身になったりするのも・・・いやだ。いやなんだ、ぜんぶ。なんで、どうして。ぼくたちはしあわせになるためにここにきたのに、」
どうしてこんなことになってるの。
女神様は、どうしてふたりの願いをかなえてくれないの。
逃げたい。逃げ出したい。すべてすててしまいたい。
「・・・逃げるって、具体的にどうするわけ。」
「・・・わかんない、けど。」
唇を結び、てのひらを強く握る。ぎり。ぎりぎりぎり。本当に涙が零れてしまいそう。けれどここで泣いてしまったら、本当にきみに見捨てられてしまう。すべて捨ててしまいたいのにきみにはすてられたくないだなんて。ふざけてる。
「・・・ミツル、ぼくたちが今ここでいっしょに逃げたらどうなるのかな。」
「どっちも願いをかなえないでここから逃げ出したら、どうなるの。誰が半身になるの。このままでいられるの、」
「そうしたら、しあわせになれるのかな、」
畳み掛けるように問いかける。ミツルは一度ワタルのほうに体重をかけ、
「・・・逃げた先にあるしあわせなんて存在、俺は信じていないけど。」
「・・・、」
「逃げた先にあるのはしあわせなんかじゃないだろ、たとえどんなにしあわせににていたとしても。」
「そう、かな。」
落胆した声を落とすと、そうだろ、とミツルは肯定した。
「・・・でも、」
そうして、けれど逆接の言葉をつなげる。
「・・・それでもいいなら、ここから逃げようか。」
「え、」
「ここから逃げて、どこかへ行ってしまおうか、一緒に。」
背中から重みが離れる。それにつられて振り向くと、ミツルは背に赤い光を受けて、にせものみたいにきれいなえがおで微笑んだ。ゆめ、みたい。ゆめみたいなえがお、ゆめみたいな言葉、ゆめみたいな。形のいいくちびるが、きゅ、と引かれる。
「・・・どこへ、逃げるの。」
「どこか。誰も知らない場所、この森を抜けて。」
「・・・ミーナたちが悲しむ、」
「そんなの、耳をふさいでしまえば良い。」
それに、先に提案をしたのはお前のほうだ。お前が逃げようといったんじゃないか。
だから。
「逃げようか。」
「・・・、」
手が差し伸べられる。きれいなえがお。りんかくが、赤い光にふちどられて非現実的なほど。その非現実さは言葉もあいまって。手をとりたい、とりたい、くるおしいほどに望んだ手、けれどこれは本物だろうか、彼がこんなことを言うなんて。だけど。
「・・・ミツル、」
手をとらずにはいられない。ほほえみが、すこしだけあがった口端が、あまりにうつくしすぎて。のべられた手に触れると、驚くほどの冷たさ。とても似合う。指先で触れ合った手が奥まで来て、つかまえられる。引き寄せられるから、それに任せて立ち上がり見詰め合う。
「・・・なんて、」
口が、開く。
「・・・冗談だよ、」
にこり。首を傾げて。
「俺は、女神にたどりついて運命を変えるんだ。」
「ほかのものなんて知らない、」
「俺が半身になるのがいやなら、お前がなれば良いじゃないか。」
残酷な言葉をつむぐ口元、なのにどうしてそんなにうつくしくて非現実的なのだろうか。遠くで声が聞こえる。
「・・・じゃあ、行くから。」
冷たい体温が手から離れる。
「それもいやなら、お前が先にたどりつくしかないな。」
そうして、願いをかなえればいい。叶えられる願いは、ひとつだけだけれど。
言葉とワタルを残して、ローブを翻し森のほうへ。
「・・・ああ、忘れてた。」
振り向く。
「俺はずっと、北にいる。運命を変えるまで。」
気が向いたら、お前も北にくると良い。またローブを翻す。がさり。がさり。背の低い草、背の高い草を掻き分けて、暗いほうへ、
「・・・ミツル、」
ようやく口を開いたワタルの声は小さすぎたか、ミツルには届かない。
森のほうへ、ミツルが消えていく。にじんで、にじみながら。
そしてそれがにじむのは、きっと、ミツルの魔法の所為だけじゃなくて。
喧騒が、遠くから聞こえる。
あのときの彼の目が真剣に見えたのは、気のせいだろうか。
06/07/18
くらい。(桂木
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