「ねえ見て!」
亘が唐突に叫んだ。
歩道橋の手すりに駆け寄って、空を見上げている。伸ばした左手が
美鶴の手を握っていて、近くに来るようにくいくいと引かれた。先
程降った天気雨のせいで黒髪が重たそうに濡れている。それは美鶴
も同じで、額に貼りつく前髪を気だるげに払いながら亘に続いた。
美鶴が隣に並ぶと、欄干を握り締めていた右手が持ち上がって、ま
っすぐに伸ばされる。ぴんとたてた人差し指にうながされ、美鶴も
空に目をやった。
「虹だ!」
亘が得意げに叫ぶ。
濡れた道や建物が陽光を弾いてきらきらと輝いていた。それを彩る
ように、雲ひとつない空に虹がかかっている。
下の道を歩いていく人々はまだ気がついていないようだ。下を向い
て急ぎ足でせかせかと歩き去っていく。
たかだか虹ぐらいで。
美鶴は内心そう思ったが、喜ぶ亘の手前口を噤む。
「大空のドラマだね」
そう言って、亘は笑った。美鶴はその言葉の意味を図りかねて亘の
顔を見つめる。その視線に気づいて美鶴のほうを振り向いた亘は、
目を細めて照れたように笑った。
「何年か前に国語の教科書でやらなかった?虹が出て、主人公が
歩道橋の上に走っていくやつ。そこでは虹の端から端まで全部見
えてさ、主人公は大空のドラマだって表現するんだ。『だれ一人、
立ち止まって、この大空のドラマに眺めいるものはない』って」
亘は美鶴の手を握ったままの手にぎゅっと力を込めて、また空を見
上げた。
「歩道橋は虹の特等席なんだよ」
亘の手はいつも熱い。
ためらいなく肩や手に触れられると、美鶴の体に震えが走る。
触れている一点から、無限に広がっていくような、熱。
その一点から溶けていく。
熱と一緒に、亘の世界が流れ込んでくる。
「ふたりじめ」
亘はそう言って、にやりと共犯者の笑みを浮かべた。
これから先、虹を見るたびに、きっとこの熱を思い出す。
こうやって、「たかが」と馬鹿にしていたものが次々と色を帯びて
いくのだ。隣に立つ、この少年を中心にして。
触れ合った手を通して、世界を共有する。
視線を戻した空の橋は、なるほど特等席というほどのことはある。ま
るでこの歩道橋を中心としているように左右対称だった。
06/07/20
文中に出てくる作品は杉 みき子さんの「にじの見える橋」です。
美鶴の世界の中心は亘と妹と叔母さんだといいな(香川
戻る
|