*原作とも映画とも関係のないパラレルです。ご注意ください!
学校へ通う道の途中に、大きいお屋敷がある。
蔦が生えてないのが不思議なくらい雰囲気がある、赤い煉瓦造りのお屋敷だ。3階建ての
その家は、亘が知る限りではずっと空き家だった。
荒れた感じはしないから、業者の手は
入っているのだろう。しかしいくつかある枠の凝った窓から見える室内は、いつもがらん
としていた。
そのお屋敷に、どうやら数日前から住み始めた者がいるらしい。亘の暮らしているのは小さな町
で、物珍しい噂はすぐに広まる。その人物を見たと証言するものは後を絶たないが、真実
かどうかは定かではない。というのも、数々の証言が食い違っていることによる。証言で
は、住み始めたのが老人だとも少女だとも少年だとも言われる。
亘は学校帰り、いつものようにお屋敷の窓に目をやった。それは近頃の亘の日課だ。住人
を一目見ようと、室内に目を凝らす。
窓は開いていたが、残念ながらカーテンがひかれていた。白いカーテンが風に揺らめい
て、ひらひらと舞っている。
亘が諦めきれずにカーテンを見つめていると、突然カーテンが妙な揺らめき方をした。
内側からなにかが当たったように丸く膨れ、ひるがえる裾がなにかを吐き出す。
それは大きく綺麗な孤を描き、亘の足下に落ちた。ぽすんという軽い音を立てて。
「お手玉…?」
それは赤いお手玉に見えた。鮮やかで緻密な模様の描かれた縮緬で出来ている楕円の袋。
拾い上げてみると、大粒の小豆の感触が手のひらに伝わった。
もう一度窓を見上げる。カーテンが少しだけずらされていて、そこから誰かがこちらを見
ていた。
幼い少女だ。茶色の髪を頭の両端で二つに結んでいる。
少女は亘と目が合うと、慌てて顔を引っ込めた。素早くカーテンが引かれ、少し見えた部
屋のなかは再び閉ざされる。亘はじっと見つめて待っていたが、そのカーテンが再び開け
られることはとうとうなかった。
+
「亘、今日遊ぼうぜ!」
「ごめんカッちゃん!今日は用事があるんだ」
次の日。亘は親友の誘いも断って、学校が終わってすぐにお屋敷に向かった。
手にはしっかりとお手玉を握りしめている。
門のところにあるインターホンを押して、返答を待った。
(大丈夫だよ。ちゃんと理由もあるんだし)
そう自分に言い聞かせるが、鼓動は心を裏切ってどんどく速くなっていく。
『はい』
呼び出しに応じたのは、少年の落ち着いた声だった。
「あの…昨日お手玉を拾って…」
声は緊張で掠れた。上擦って、みっともない。
『………』
インターホンの向こうで、沈黙がおりる。
亘は手持ち無沙汰で、お手玉を手の中で転がしていじった。少年の沈黙は続く。向こうで
かすかに、女の子の話す声が聞こえた。話の内容を聞き取ろうと、亘はインターホンに近
づいて耳を澄ます。
『入れよ』
しばらくして、少年は言った。
『玄関で待ってる』
プツリ。用件だけ伝えると、通話はすぐに切れる。
亘は門を見上げた。柵のある門は、昼間はいつも開かれている。
深呼吸して、足を踏み出した。まっすぐ歩いていったところに、目指す玄関がある。
どくどくとすごい音を立てて、心臓が動いていた。血液を送り出す拍動。体中に送られて
いくのをリアルに感じる。重厚なドアをノックしようと右手を上げた。
拳がドアに当たろうとした瞬間、ドアが外側に開けられた。
がつん、という音がして、拳に痺れるような痛みが広がる。亘は胸に拳を引き寄せて痛み
をこらえた。
「あ、悪い」
声は妙に抑揚がない。もしやわざとだったのかと、亘はむっとして顔を上げる。
ドアノブを握ったままで、少年が立っていた。金に近い茶色の髪をした少年。亘が見たこ
とのないくらい、整った顔をしている。灰色がかった黒い瞳は大きく見開かれていて、ど
うやら本当に驚いているらしかった。
「だいじょうぶ、だけど」
亘は反射的にそう答えてしまう。本当は全然大丈夫じゃない。じんじんと熱を持ったよう
に拳が痛む。目はきっと涙目だ。
「来いよ」
少年は唐突にそう言って、背を向ける。亘は驚いて目を丸くした。玄関先でお手玉を渡すだけだ
と思っていたのに。
ドアをくぐると、玄関からまっすぐに通路が伸びていた。その通路は階段につながっている。 少
年はすぐ近くにある左のドアを開けて、その中に入っていった。亘もその後に続く。そこはどう
やら応接間のようだ。天井まで届く大きな窓から日が射し込み、部屋の中は明るい。
棚の上に花瓶があって、大振りな花が飾られている。大きなテーブルの3辺を囲むように
してL字型のソファとI型のソファがひとつずつ置かれていた。
少年は亘をソファに座るよう促し、部屋から出て行く。これ幸いと、亘は周囲を見回した。
暗い赤をベースとした絨毯はふわふわしていて、とても高そうだ。ソファも埋もれてしま
いそうなくらい柔らかい。壁にはいくつかの風景画が飾られていた。
しばらくして、少年が戻ってきた。その手には白い箱を抱えている。テーブルの上に箱を
下ろして、亘の正面に腰を下ろした。
白い指が箱を開け、迷いのない動きでいくつかの物を取り出していく。湿布。テープ。小さな鋏。
まさかと思いつつ亘が見つめていると、少年は亘に右手を出すように言った。
大人しく右手を差し出すと、少年は自分の手の上に置いて、前もってちょうどいい大きさに
切っておいた湿布をぺたりと貼った。すぐにテープではがれないように固定する。 驚くほど
手際がいい。湿布の冷たさがじんわりと沁みた。少年の手も、同じぐらい冷たい。 処置が終
わって、少年の手が離れた。そしてすぐに片付けに入る。余計な動きのない流れるような手
つきだった。あっという間にテーブルの上が片付き、箱の蓋が閉まる。
そして、はあ、と少年はため息をついた。ため息をついて、「受け取るだけのつもりだったんだけ
どな」と独り言のように呟いた。
「おまえのせいだろ」
亘が思わず少年を恨みがましく見つめる。少年はきょとんとして亘を見て、吹き出した。
なんで笑われたのかわからない。とりあえずむかっときて、痛まないほうの左手に握ったま
まのお手玉を突き出す。
「好きで怪我したんじゃない。これ、返すから」
「ひとつ聞きたいんだけど、」
少年は亘の手からお手玉を受け取って、ゆるりと首を傾げた。
「おまえ、毎日外から家を覗きこんでたやつだろ?」
それを聞いて、亘は思わず真っ赤になった。やばい。気づかれていたなんて。
「そんなに気になるのに、なんで中に入ってこようとは思わなかったんだ?門は開いてるのに」
入ってくるやつらもいるぞ、と少年は続けた。
亘は赤い頬を隠そうと俯きながら、もそもそと答える。
「だって、そんなので出会ったって嬉しくもなんともないじゃないか」
少年は訝しげに眉をひそめて、亘の顔を覗き込もうとした。その気配を感じて、必死で顔を背ける。
「僕が見つめていた窓から、偶然誰かが顔を出す。偶然に目が合う。そういうのって、運命っぽいじゃない」
少年の動きが止まる。数秒間待ってから、亘はおそるおそる顔を上げた。
少年は俯いて、手で口元を押さえている。一目で力が入っているとわかる肩が、ぷるぷると震えていた。
「笑うなよ!」
亘の声を封切に、少年はこらえきれなくなったように笑い声をあげた。
「変なやつ!」
弾けるような笑い声の合間に、少年がそう叫ぶ。亘も負けじと言い返した。
「おまえに言われたくない!僕のどこが変なんだよ!?」
少年は笑いを抑えようと、浅い呼吸を繰り返す。
「だって、お前、大人しそうだと思ったら、変に強気だし。ロマンチスト、だし」
口に出した途端に笑いが蘇ってきたのか、少年は腹を抱えてテーブルに突っ伏した。
「僕は答えたんだから、お前も質問に答えろよ!」
亘は真っ赤になって、感情のままにテーブルを平手で叩く。
「ひとつめ!あの女の子は誰、」
いくつあるんだよ、と笑った少年が、しかし律儀に答えた。
「妹。今風邪ひいて寝込んでるんだ」
「なんでここに住むことになったの?」
「家庭の事情。叔母に引き取られて、こっちで暮らすことになった」
家庭の事情。そう言うときだけ、少年の目が鋭くなる。一瞬後にはその鋭さは消え去り、亘は見間違い
かと目をぱちぱちと瞬かせた。
「それで、後はなに?」
少年はやっと笑いが収まったのか、そう問いかけた。その声にはまぎれもなく面白がる響きがある。
「ふたつめ。なんで学校に来ないの?」
気にしないことに決めて、亘はツンとした態度で聞いた。
「いまさっき言ったとおり、妹が寝込んでるから。叔母は仕事が忙しくて家に帰るのは深夜なんだ。
だから俺が看病してる。明後日ぐらいには通い出すことになってるけど」
「・・・なんだ」
亘はぽかんとしてしまった。なにか複雑な事情があると思ったのに。謎めいた事情。そして亘の周りで
非日常が回り出す。その時をわくわくして待っていたというのに。拍子抜けだ。
「ご期待に添えなくて申し訳ありません」
くすくすと少年は笑った。そして、まだあるのか?と亘を促す。
「次が最後」
萎んだ気持ちを切り替えて、亘は少年の顔を見つめた。人形のように整った顔。でも爆笑したせいで頬が赤
くなっていて、とてもじゃないけど人形には見えない。生きた人間だ。謎めいた住人でもない。亘と同じくらいの年の少年。
「君の名前を教えて」
少年はにやりと笑った。意地の悪い笑みなのに、下品にならない。不思議と魅力的な笑顔だ。
「美鶴」
美鶴。みつる。亘はその名前を心の中で何度も復唱した。
残念ながら非日常は始まらないようだけど、もっと楽しいなにかが始まる予感がする。
「僕は亘だよ。よろしく美鶴!」
06/07/23
好き勝手やっちゃいました笑(香川
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