*原作とも映画とも関係のないパラレル、「僕たちの行く手が見えるかい」の続きになっております。ご注意ください!
しん、と教室が静まり返った。濃密な沈黙がその場を支配する。み
んなの視線が吸い寄せられるように一点に向けられていた。
少年が静かな足音を立てて黒板の前を横切る。少年は緊張した様子
もなく堂々としていた。顔を上げて、まっすぐに前を見据えている。
たった今初めてここへやってきた彼が、この室内で唯一の異物であ
ることは間違えないのに、まるで彼以外の全員が異物であるようだ
った。
この場にいるべきは彼だけで、あとはイレギュラーな存在なのでは
ないか。または、この場は彼のために用意された舞台で、彼を見つ
めている自分達は全員観客なのではないか。
そう思わせるほどの何かが彼にはあった。彼は紛れもなく主役であ
り、支配者だった。
彼は教師の後に続いて教室の中央まで歩き、教卓の横で足を止める。
物怖じしない鋭い視線が、隙なく教室を見回した。
柔らかそうな髪が窓から吹き込む風に揺られている。離れて見ても
そうとわかるほど、その顔立ちは整っていた。
亘は教室の中で椅子に座って、まばたきもできずに彼の姿を見つめ
ていた。彼は別人のようだった。これは本当に、ほんの2日前彼の
暮らす家で亘と言葉を交わした彼だろうか。
切れ長の目が、ふと和んだ。
亘は驚いて息を詰める。灰色の目はまっすぐに、他の誰でもない、
亘の姿を捉えていた。
意識しなければわからないほどわずかに、彼の口元が緩む。
「美鶴・アシカワだ。家の都合で今日からこの学校で一緒に過ごすことになった」
仲良くするように、との教師の言葉を受けて、彼はかすかに会釈し
た。幾人かが釣られて会釈を返し、そこでやっと教室の空気が動き
出す。途端に、どこかから噴き出したようにざわめきが広がった。
特別な雰囲気を持った転校生に、誰もが興味を持っている。
(僕の友達なんだ)
亘は心の中で呟いた。
(僕が最初に知り合ったんだ)
みんなにそう自慢したい気がしたし、誰にも言いたくない気もした。
亘はただ黙って美鶴を見つめていた。
美鶴も沈黙を守って、亘を見つめている。
そのことに気づくものはいない。胃の裏側をくすぐられているよう
な、妙な気分だった。こうしているだけで、嬉しくて楽しくて、笑
い出してしまいそうになる。
しばらくすると、美鶴の口が小さく小さく動いた。
(なに?)
口の形を見ただけで話していることがわかるような特技が亘にある
わけもなく、亘は首を傾げる。美鶴はきょとんとしている亘を見て、
少し笑ったようだった。
教師は美鶴の席を窓際の一番後ろと決め、美鶴はその席に腰を下ろ
す。そしてすぐに鞄の中身を机の中に移し始めて、ちらちらと振り
返る生徒を気にする素振りも見せない。
窓から射し込む光に透かされて、美鶴の髪は金髪のようにきらきら
と輝いていた。こうして同年代の子供と同じ場所にいるとよくわか
る。
美鶴は亘が今までに見たことのないくらい、うつくしい子供だった。
+
「今日、うち寄って行かないか?」
その日の放課後のことだ。
気後れしてなかなか喋りかけることができなかった転校生が、ひと
りの生徒の机の前にやって来てそう言った。そのできごとにすぐさ
ま教室は騒然となる。
「知り合いなのかな・・・?」
「あの二人が?」
「ミタニが?」
「まさか・・・」
ミタニが、まさか。亘はむっとした。まさか、で悪かったな。
さわがしい声に負けないように、亘は大きな声で答えた。
「行く!」
亘の返事を聞くと、美鶴はうるさくてかなわないばかりに顔をしか
めてさっさと教室を出て行く。
亘は慌てて帰り支度をしていた鞄に残りの荷物を詰め込んで、美鶴
の背中を追いかけた。
「待ってよ、美鶴!」
美鶴は玄関のところでちらりと振り返って、お得意のにやりとした
笑みを浮かべる。
え、と思う間もなく、靴を履き替え終わっていた美鶴は猛然と走り
出した。
「美鶴!?」
亘は慌てて上履きを脱いで外履きに履き替えると、小さくなりつつ
ある後姿を追って駆け出す。
まだ春だと言うのに外は暑いくらいだった。あっという間に背中が
熱くなる。
坂道をあがり始めると、だいぶ先を走っていた美鶴の速度が目に見
えて落ちた。チャンスだ、と亘はいっきに追い込みをかける。
迫り来る気配に気づいたのか、美鶴が肩越しに振り返り、ぎょっと
したように目を見開いた。
美鶴は再び前を向くと、落ちたスピードを巻き返すように足を速め
る。亘もさらに速度をあげた。
美鶴は越してきてあまり経っていないが、自分はこの坂をもう何年
も上がって登校しているのだ。なめてもらっちゃあ困る。
美鶴の背中が近づく。あと少しで、手を伸ばしたら届きそうな距離
だ。
勝利を確信した瞬間、美鶴は左に曲がった。
はっとして周りを見ると、もう坂は上がりきっていて、二人は丘の
上まで来ていた。
丘の上。美鶴の家だ。
開けっ放しの門を走り抜けた美鶴は、玄関まで辿り着けずに庭の芝
生に転がっていた。亘もラストスパートをかけて、美鶴の隣に転が
るようにして止まった。
はぁ、はぁ、と互いの荒い息遣いが響く。声を出すことも出来ず、
ただ黙ってじっとして、心臓が落ち着くのを待った。
仰いだ空は青く澄み渡っている。風が強いので、白い雲がすごい勢
いで青空を流れていく。
「ははっ」
しばらくして、美鶴は弾けるような笑い声を上げた。亘がびっくり
して隣に顔を向けると、美鶴は右手で口元を押さえて我慢できない、
というように笑っていた。
大人びた顔が年相応に見える。いつもは引き結ばれている唇から、
小さく白い歯が覗いたのが、指の間から見えた。目は細めるを通り
越して、ぎゅっとつぶってしまっている。
亘は思わずその笑顔に目を奪われて、息を止めていた。
「なにぼうっとしてんだよ」
笑い止んだ美鶴にそう指摘されて、はっと我に返る。
「なんでいきなり走り出すんだよ!」
「だって、お前犬みたいだったから」
「はぁ?」
「待ってよ美鶴、っていいながら嬉しそうに追いかけてくんの」
亘は思い当たる節がなくもなく、羞恥に顔を赤くした。
美鶴は思い出し笑いなのか、再び笑みを浮かべる。
「んで、どこまで追いかけてくるかな、と思って走り出したら、
お前本当にどこまでも追いかけてくるからおかしくて」
「美鶴が走るから、追いかけてきて欲しいのかと思うじゃないか」
「俺が追いかけてきて欲しいと思ってるって、そう思ったから追い
かけてきたのか?」
「そうだよ。悪い?」
亘が開き直って胸を張ると、美鶴は笑い声があがるのをこらえるよ
うな顔をして、しかし我慢しきれずにぷっと吹き出した。
「律儀なやつ!」
+
「ただいま」
「おかえりなさい!」
美鶴が玄関で声をかけると、すぐさま返事が返った。
玄関から伸びた通路の奥の階段から、ひとりの少女が駆け下りてく
る。まだ幼い少女。亘はその子に見覚えがあった。
「こんにちは」
亘の目の前まで来た少女がぺこりと頭を下げる。
「こんにちは。え、と、美鶴の妹さん・・・?」
「アヤです。お手玉をありがとう」
少女は頷いて、にこりと笑った。
亘と美鶴が知り合うきっかけとなったお手玉。その持ち主がこの少
女だ。
「お兄ちゃんがノーコンだからいけないんだよ」
舌っ足らずな声でそう言って、アヤは美鶴を恨めしげに見た。
美鶴はアヤの視線から逃れるようにそっぽを向く。ばつが悪そうな
その顔は、亘には新鮮だ。
「アヤがお手玉して遊んでたらね、お兄ちゃんもやるって言ったの。
だから貸してあげたのに、思いっきり飛ばすんだもん」
「俺はあんなに飛ばしてない。慌てて取ろうとしたアヤの手が当た
ったからいけないんだろ」
「だってびっくりしたんだもん。窓の向こうにとんでっちゃって、
びっくりして外見たら、知らない人と目合って、またびっくりしち
ゃった。びっくりして、隠れちゃった」
ごめんなさい、とアヤが謝る。亘は慌てて顔の横で両手を振った。
「謝ることなんて、全然!」
そう?とアヤが首を傾げて亘を見上げる。
「持ってきてくれるなんんて思ってなかったの。だからありがとう」
「どういたしまして!」
亘はそう返した後に、心の中で付け加えた。
『おかげで美鶴と会えたから、僕もありがとう、だ』
恥ずかしいから、口に出すことはできなかったけど。
+
それから叔母さんの帰りが遅くなるというので、3人で夕食を作っ
た。
作りながら、たくさんの話をした。アヤはすっかり風邪が直
って、明日から学校へ通うそうだ。家でアヤと遊んでいるだけの美
鶴を、アヤが早く学校へ行けとせかした。だから美鶴のほうが先に
通い始めることになったのだと言う。
家にいたってしょうがないでしょ、と大人のように言うアヤはかわ
いくて、兄弟のいない亘はとても楽しかった。
よく回るアヤの舌に弱りきった美鶴は、亘と同い年のどこにでもい
る少年のようだ。また新たな美鶴を発見できて、亘は知らず頬が緩
むのを止められない。
教室にいたみんなの知らない美鶴。あの教室の中で、亘だけが知っ
ている美鶴。
母さんが待ってるから、そう言って亘は美鶴の家を後にすることに
なった。
玄関まで美鶴とアヤが送りに来てくれる。
また来てね、とアヤが小さな両手で亘の手をぎゅうと握った。亘は
嬉しくて、うん、と満面の笑顔で頷く。
アヤが喜ぶからまた来い、と美鶴がむすっとした顔でいう。
美鶴はシスコンだ。
おかしくて吹き出してしまいそうになって、亘はふと教室での出来
事を思い出す。
「ねえ、美鶴」
「なんだ?」
「今日教室で、なんて言ってたの」
「いつの話だ?」
「美鶴が紹介されてるとき」
ああ、と美鶴は頷く。そして唐突に亘の腕を掴んで引っ張った。
「わっ!」
亘の耳にくっつきそうなほど口を寄せた美鶴が、答えを亘に聞かせ
る。
美鶴は驚いて固まってしまった亘の肩をつかんで、家の外を向かせ
た。
「じゃあね!」
アヤの明るい声に送られて、亘はふらふらと足を踏み出す。
頭の中で美鶴の言葉が回っている。
亘はただ黙って美鶴を見つめていた。
美鶴も沈黙を守って、亘を見つめている。
美鶴の口が小さく小さく動いた。
『見惚れてるのか?』
悔しいけれど、図星だ。
06/07/25
パラレル第2弾。
パラレルの美鶴はなぜか明るいです。(香川
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