揺らぐ僕の世界

*原作とも映画とも関係のないパラレル、「僕たちの行く手が見えるかい」「僕の世界は回りだす」の続きになっております。
この話から読んでくださっても問題はないと思われます。





「ね、美鶴。今週の日曜日一緒に遊ぼう!おにぎり持って一日中!」
金曜日の五時間目社会のあと、帰りの学級会が終わってすぐ。早々と帰る準備を済ませた美鶴が、もたもたと机の中のものを 鞄に詰めている亘の席に近づくと、気づいたワタルが顔をあげ、にこりと笑ってそう言った。美鶴は目をまたたかせて、 首を傾げる。
「どっか行くのか?」
「うんちょっとね」
「ちょっとってなに、」
曖昧な亘の返事に、眉をしかめる。この町に引っ越してきて、亘と出会ってからの休日は、美鶴とアヤ、そして亘 の三人で過ごすのが常だった。ここ最近はなぜかボードゲームに熱中しており、何回も勝負をしているうちに休日は終わって しまう。おにぎりを持って、というからには外出するのだろう。いままで外で遊ぶこともないことはなかったが、それは大抵近 くの広場でクラスメイトとボールを追う、という食べ物を持っていくまでもない簡単なものだった。
「遠出するのか?」
「ううん。大丈夫、近いよ」
ますます意味がわからない。
美鶴の眉間の皺が深くなる。亘は荷物を詰め終わった鞄を背負って、ちゃんと入っているかを確認するように軽くとび跳 ねた。ことり、と鞄の中で教科書が音を立てる。
それを聞いて満足げにうなずいた亘が、美鶴の眉間に指先で触れた。
「皺、くせになるよ」
「誰のせいだと思ってるんだ」
美鶴がそう言い返すと、くすくすと笑う。
「いったいどこに行くんだよ」
詳しいことを話す気はないらしい亘に肩をすくめながら問うと、先に歩き出していた亘は教室のドアのところで振り向 いた。右手の人差し指を一本だけ立てて、頬に添えている。そして、冗談めかした言葉。
「ひみつの場所、だよ」
美鶴は目を丸くして、亘に続こうとしていた足を思わず止めた。
その言葉の持つ甘い響きは、同じ年頃の少年たちがそうであるのと同じように、美鶴の胸をもふるわせたのだ。


  +


「いってらっしゃーい!」
そしてやってきた日曜日。玄関まで見送りに出てきたアヤが、背伸びをして高くした腕をぶんぶんと振り回す。それを見て美鶴は 苦笑し、亘は手を振り返した。
お互いの姿が見えなくなるまで手を振り合ったあと、やっと前に向き直った亘が、困った顔をして美鶴を見つめる。
「アヤちゃん、大丈夫かな。今日は叔母さん仕事なんでしょう?」
「そうだけど、大丈夫。今日は友達の誕生会に呼ばれてるらしいから」
「アヤちゃん、お友達できたんだね!」
よかったぁ、と亘は我が事のように喜んだ。
引っ越してきて早々にアヤは風邪をひき、なかなか学校に通い始めることができなかったのだ。美鶴もアヤの看病のために家 にこもり、叔母さんは朝早くから離れた町にある仕事先に向かう。三人が住んでいるのは長いこと空き家だった屋敷で、そこに 越してきたきり姿を見せない一家は、亘の町で噂の的だった。やっと学校に通い始めたときには、噂の人物と言うことで転 入生と言う枠をこえて目立ってしまっていた。美鶴が入ってきたクラスには亘がいたが、アヤには知り合いがいない。そ れで、ずっと心配していたのだ。
「当たり前だろ」
むすっとした顔で美鶴が言って、亘は思わず吹き出した。
「そうだよね。アヤちゃん明るくていい子だもんね!」
くすくすと笑いやまないワタルにへそを曲げて、隣を歩く美鶴のスピードが上がる。亘も慌てて足を速めた。
「速いよ、美鶴!」
「・・・・・おまえがいつまでも笑ってるから」
「だって美鶴、兄バカ・・・」
なにか言ったか、と美鶴が横目で睨みつけてくる。亘は慌てて首を振った。
「なんでもない!」
それから話題を変えて、この休日に出た宿題の話をする。算数の宿題がテキスト二ページほど出たのだ。美鶴はもうやったの かと聞くと、授業中に終わらせたとの答え。さすがだ。褒められたことではないけれど。亘は昨日の夜に半分終わらせたと ころで寝てしまった。今日帰ってから続きをやれば、なんとか終わるだろう。
「どこまで行くんだ?」
ずっと聞くのを我慢していたのだろう。痺れが切れた、という顔をして、美鶴はそう切り出した。
「もうすぐだよ」
亘は答えて、右腕を前方に伸ばす。
「次の次の角を右に曲がったら、すぐ!」
一体どこに行くんだ、という問いを美鶴は呑み込んだ。どうせ答えははぐらかされてしまうだろう。昨日から何度か聞いたが、 返ってきたのは「ひみつ」という要領を得ない言葉だけだった。
期待は美鶴の気持ちを離れて勝手に膨らんでしまって、それが裏切られるときが恐ろしい。
(期待なんて、してない)
美鶴は自分に言い聞かせるように、胸の中で何度も繰り返し呟いた。
そんなことをしていると、あっという間に曲がる角について、右折するとそれはすぐに見えてきた。
あたりはぼつりぼつりと住居があるだけで、他はほとんど空き地になっている。空き地の中の一ヶ所に大小さまざまな土管が横 に倒れて転がっているところがあり、亘はそれを指差した。
「あそこだよ!」
そう言って、走り出す。美鶴も鞄の中のおにぎりを潰さないように気をつけて後に続いた。
亘はぴょんとジャンプして、土管のひとつに乗りあがる。そのままいくつもの土管の上を身軽に跳ねて移動していく。土管 の高さはまちまちで、高い土管の上から低いところに飛び降りると、亘の姿はすぐに見えなくなってしまいそうになり、慌てて 後を追った。
当たり前だが土管の上は丸くて、バランスが取りにくい上に足を滑らせやすい。慣れない美鶴と、何度もここに来て慣れてい るらしい亘の距離はどんどん開いていってしまう。亘が先のほうで振り向いて、早く来いと言うように手を振った。そして、 すぐにさらに先へと進んでいってしまう。
「少しは止まって待ってろよ」
そう毒づくと、美鶴は片足をかけて高い土管に乗りあがった。通ってきたところを振り返って見てみると、感じていたほど大 した距離ではない。高低差を考慮に入れても、もう少し進んでいると思っていた。
「美鶴!」
遅い美鶴を迎えに来たのだろう。ためらいなく土管から土管へと飛び移る亘は、見る見るうちにすぐ近くまで戻ってきた。
「おまえ速すぎ」
そう言って、美鶴はため息をつく。
「美鶴は都会っ子だもんね」
そう言って、亘は笑った。美鶴より得意なことがあるなんて、変な感じだ。そう言って、照れたように。
美鶴はなんだか悔しくて、思わず口を尖らせる。
「すぐに慣れて、速くなる」
「うん!美鶴は運動神経いいもんね」
なんの衒いもなく頷かれて、子どもっぽいことを言ってしまったとすぐに後悔した。
「あの大きい土管、わかる?」
そう言って亘が指差した土管は、それとわかるほど大きいものだった。近くに行かなければ正確なところはわからないが、 直径一メートルほどはあるのではないか。
それを確認してワタルに視線を戻すと、亘は美鶴を見てにやりと笑った。挑戦的な光をその目の中に見つけて、美鶴の 口元も自然に笑む。
「なにを賭ける?」
「この前拾ったきれいな石ひとつ!」
「いらない。教室の掃除当番一回は?」
「のった!」
お互いの拳を軽くぶつけ合って、承諾を示した。
「後悔するなよ?」
「そっちこそ!」
亘が大きな声で、十からカウントを始める。美鶴も心の中で一緒に数えた。
「さん、に、いち」
ゼロ、と一際高々とした声が上がる。その瞬間、二人は同時に乗っていた土管から飛び降りた。


  +


「つっかれたー」
亘がため息とともに深々と呟いた言葉は、何重にもぶれて響く。二人は今、ゴールに指定した土管の中に入り込み、背中を あずけてしゃがみこんでいた。
「あともう少しだったのになぁ」
「そうだったか?」
「そうだった!美鶴って勝負事になると強いよね・・・」
そう言って頬を膨らませ、背中から腹に移動させていたリュックからおにぎりを取り出す。まだ昼には早い時間だったが空腹を 感じていたので、美鶴も黙ってそれに倣った。
しばらく無言で食べ続け、亘の持ってきた水筒の中の紅茶を交互に飲み、やっと人心地がつく。
「静かだな」
美鶴の小さな呟きが、土管の中で反響する。土管の外の物音はどこか遠くて、美鶴と亘の話し声だけが大きく響いてい た。風がうなる音も、壁一枚挟んだ遠くのものだ。外にいるのに、まるで家の中に入るような安心感と、暗い洞窟の中にいるよ うなスリル。
「ここ、ぼくの秘密の場所なんだ」
亘はそうささやいた。
「こうして膝を抱えて目をつむると、なんだか落ち着くでしょ」
言葉通りに目を瞑って、美鶴の肩にこつんと頭を乗せる。
「美鶴にだけ、教えてあげるね」
触れ合った肩から亘の体温が伝わる。美鶴よりも少し高いそれは、ゆっくりと美鶴の体に染みていく。
「あ、アヤちゃんになら教えてもいいけど!」
突然ぱちりと目を開いたと思ったらそんなことを言うから、美鶴は吹き出してしまった。
「いや、いいよ」
「そう?」
亘は首を傾げ、それから美鶴と目を合わせてにこりと笑った。
「じゃあ、ふたりだけの秘密だね」
その笑顔は直視するには少し眩しすぎて、美鶴は目を伏せる。顎を引くようにして小さく頷くと、亘は嬉しそうな笑い声 をあげた。


転寝をはさみながら他愛もない話に興じているうちに、すぐに夕方になってしまう。灰色の土管が夕日に照らされ、昼間より黒 ずんで見える。
名残惜しげに空き地を振り返る亘の手を取って、美鶴は微笑みかけた。
「また来ような」
亘はぱちりと大きな目をまたたかせてから、美鶴の手をぎゅっと握り返す。
「ふたりで、ね」
亘の笑顔は、夕日にふわりと溶けてしまいそうに柔らかいものだった。
夕日が赤くて、よかったと思う。




06/10/12
パラレル第3弾。 勝負に勝った美鶴ですが、きっと亘の掃除が終わるのを下駄箱で待ってます。意味ない!(香川
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