あの日の空は、抜けるような青空だった。
空が抜けるなんてことがありえるのかはわからない、ぼくはそんなこと実際に見たことはないけれど、でも、それでもあれは抜けるような青空だった。(人間とは得てして、見たことのないもの、知らないものを語りたがるものなのだ。だからぼくも人間の性質に乗っ取って、抜けるような、と言うことばを使う。人間らしく生きる。それはぼくの人生の最大のテーマである。)
どこかとおくのほうから、ヒュルルルーと、鳶の鳴き声が聞こえた。
こんな都会の外れに鳶がいるものなのかと驚きながら、(でももしかしたらあれは笛の音か何かだったかもしれない、本物の鳶の鳴き声といえるものを、ぼくは一度きりしか聞いたことがないから)その驚きに背中を押されたのだろうか、それともその鳴き声に言いようのない懐かしさを感じたからだろうか、もしくはまったくもって鳶は関係ないのか。理由が三つのうちのどれなのか、それとも他の何かなのかはわからないけれど、とにかく、ぼくはあの時どうしようもなく、きみにすきだと言ってみたくなってしまった。
言ってみたくなってしまって、言ってしまった。
きみの驚く顔がみたかった。意表をついてみたかった。溜まりに溜まった気持ちをぶちまけたくなってしまった。記憶と感情と言う重い重すぎる荷物を、きみの肩にも乗せてやろうと、そんな意地悪なことをおもってしまった。
すべてが間違いだった。
空が抜けるように青かったことも、鳶の鳴き声が聞こえたことも、季節が夏だったことも、意地悪をしたくなったことも、きみをすきになったことも、そしてたぶん、きみに一方的な再会したことすら。(なんで一方的かって言うと、それはきみのほうに再会したという意識がなかったからだ、もちろん。)
すきだと告げた。
真摯な表情で、夏の屋上で、真っ直ぐな声で、きみに真っ直ぐ視線を向けて。
きみはその鳶色よりも薄い色の眸で、ぼくを斜に見つめ返していた。真っ直ぐじゃなかったけど、視線は逸らされなかった。逸らしたのは寧ろ、ぼくのほうだったくらい、きみはぼくから視線をはずさなかった。
ぽろりと零れた告白のことばを、きみはなんともおもわない顔で、なんともおもわない声で、ただ一言、ふうん、とだけ言った。
それだけだった。
ほかには何もなかった。
きみの何もかもが、揺るがなかった。揺るぎなかった。
白い白い頬に、長い睫が影を落としただけだった。それでも視線は外れなかった。
ぼくはみっともないくらい引き攣った声で、もう一回すきだ、と言ってみた。
でも言うべきじゃなかった。
返ってきたのは、だからそれで、って言う二言だった。一言増えた。でもきみからぼくへの気持ちとか感情とか、そういったものはまったく増えていなかった。
酸素消費量と、咽喉を震わす音と、きみとぼくの鼓膜を揺らす回数と。
増えたのは、それくらいのものだった。
それで、って言った。興味のない顔で、興味のない声で。ぼくの存在なんていうのはたぶんきみにとって、とおくの鳶(のような)の声くらい、夏の空に対する抜けるような、っていう表現くらい、いや寧ろそれ以上に、どうでもいいもののようだとわかってしまった。
増えた。
きみに増えなかったけど、ぼくに、いやな恥ずかしさを伴った記憶と、熱量と、それから少しの空しさと寂しさが増えてしまった。
そしてそのたった少しの空しさと寂しさに耐え切れずに、ぼくはきみから視線をはずしてしまった。はずして、それで、って言うきみの問いかけに、それだけだよ、って、言ってしまった。
視線をはずすべきじゃなかったのかもしれない。食い下がるべきだったのかもしれない。
でも、あの日は何をしたって上手くいかなかったような気さえする、あの日じゃなくたって上手くいかなかったかもしれないなんて、そんなことは置いておくとして。
そもそも、空が取り計らったような青空だったのがいけなかった。
そもそも、鳶が鳴いたのがいけなかった。
すきだなんて、言わなきゃよかった。
きみになんか、会わなきゃよかった。
きみがいるだけでよかった、きみが少しでも近くにいてくれれば、感情を向けてくれなくても、ぼくの存在に気づかなくても、ただいるだけでよかったのに、きみの姿を見ていられるだけで、それだけでよかったのに。
あの日からぼくは、きみを見ることすらできないなんて。
06/12/19
(桂木
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