「ほら見て、おいしそうでしょう?」
得意げに微笑んだ母が、金色の厚紙に乗ったケーキを両手で持ち、キッチンから歩いてくる。その足元で背の小さい妹が両手を上に伸ば
してぴょんぴょんと跳びはねた。
「やーっアヤが持つの!」
「だめよ、アヤちゃんは座って待ってて」
「やーっだー!」
妹は思い切り頬を膨らませ、爪先立ちになって手を高く伸ばす。
ケーキは妹の手に触れないように高めの位置に持ち上げられた。母は妹を蹴ってしまったり、また自分が転んでしまったりしないように
下を向いて、注意深く歩いていく。そのために手元に向ける注意がおろそかになってしまっているようで、ぐらぐらと揺れるケーキを見
ている美鶴はひやひやした。
「アヤが持ったら落とすだろ?」
「落とさないよ!」
にやにや笑いを浮かべていった父を、妹はきっ、と睨みつける。
妹の注意がそちらに向いているうちに、と思ったのか母は足を速めた。スリッパを履いた足では早く歩くことは難しいので、危なっかし
いことこの上ない。
美鶴は座っていた椅子からすべるように降りて、母の持つケーキを受け取った。テーブルの真ん中に下ろし、ふうと安堵のため息をつく。
「あー! お兄ちゃんずるい!」
小さな拳で父をぽかぽか殴っていた妹が、目聡く気づいて目を吊り上げた。美鶴は苦笑して、指先についてしまったクリームを妹の指に
移す。すると、妹は途端に目を輝かせて、おいしそうに指のクリームを舐め取った。
「おいしいねえ」
そう言って、美鶴に笑いかける。
「アヤは単純だなあ」
父がおかしくてたまらないとばかりに肩を震わせ、つられて美鶴と母も吹き出した。妹だけが何がおかしかったのか分からないようで、
大きな目を白黒させている。しかし、皆が笑っているのを見ると意味もなく楽しくなってきてしまったようで、口を大きく開けて一緒に
笑い声を上げた。
「ほら、ろうそくに火をつけるぞ」
父の言葉で、家族全員がテーブルにつく。皆でケーキに七本のろうそくを立て、それに父がライターで火をつけた。
「はーい、電気消すわよー」
母が席を立ち、壁にある照明のスイッチをカチ、と押す。照明は消え、暗闇にろうそくの火が明るく浮かび上がった。窓のカーテンはき
っちりと閉まっているので、余計な光は射しこまない。
「さあ、美鶴」
再び椅子に腰掛けた母に促され、美鶴は頷いた。息を吸い込んで胸を膨らませ、すぼめた口から勢いよく息を吐き出す。
火はゆらりと揺れ、ふっとかき消える。
そして次にお決まりの言葉が向けられるのを、美鶴は待った。
(………?)
いつまで待っても、明かりはつかない。投げかけられる言葉もない。
美鶴は不安になった。隣に座っていた妹はどこだろう。父は。母は。
真っ暗で何も見えない。
闇の中で、何かが動いた気がした。
美鶴はいつの間にか立ち上がっている。腰掛けていた椅子はない。ケーキといつもより豪勢な食事が並んだテーブルも消えてしまってい
る。
暗闇に、白い体が浮かび上がった。
華奢な後ろ姿から、それが女性だということがわかった。白いワンピースの裾がふわりと揺れる。
美鶴はそのワンピースに見覚えがあった。
「母さん!」
叫んで、走り出す。
自分の体は闇にまぎれてしまわずに見ることができた。それは母の白い背中が見えるのと同じことで、美鶴が白い光をまとっているから
だ。
何度も転びそうになりながら走って、美鶴は母に追いついた。
「母さん……?」
声をかけても、母は振り返らない。美鶴はおずおずと手を伸ばして、ワンピースの裾をつかんだ。
その瞬間、世界の色が反転する。
掴んだスカートは白から黒に、暗闇は目が痛くなりそうな真白に、そして白く輝いていた美鶴の体は見る間にくすんで深い黒に沈んだ。
母は振り返る。違う、母じゃない。
ワンピースだったものは、柔らかいマントに変わってしまっていた。暗闇に浸った、今にも滴り出しそうな黒のマント。
美鶴を見下ろす、その顔は。
(僕、だ……)
美鶴は呆然と目を見開いた。それは背丈がぐんと伸びて頬の丸さはいくらか落ちたものの、確かに美鶴だった。
右手に長い杖を握りしめて、哀しそうな目で美鶴を見下ろしている。美鶴はその視線を受け止めたまま、動けない。
光のない黒い瞳は底が見えない。深く、暗く、どこまでも沈んでいけそうだ。
次第に頭がぐらついてくる。足元がおぼつかない。美鶴は我慢できなくなって、ついに視線を逸らすと、目をきつくつむる。
次に目を開けたとき、美鶴は十一歳の美鶴だった。
右手に違和感を覚え、視線をやる。美鶴は五色の宝玉の嵌まった杖をぐっと握りしめていた。黒いマントがすっぽりと身を包む。
目の前には、幼い美鶴がいる。
美鶴は一歩後じさった。幼い美鶴はにこりと微笑む。その体は全身が暗く沈んだ色をしていて、美鶴の中に沈む何かの記憶をざわざわと
さざめかせた。
小さい黒い手が、杖の先の方を掴む。美鶴の手から力が抜けて、杖は幼い美鶴の手に移った。
「もう、いらないよね」
呟いた幼い美鶴の手の中で、杖は音もなく一瞬にして霧散する。
美鶴は自分の目が信じられず、瞠目した。幼い美鶴がした手招きに従って膝を折ると、柔らかい手が目隠しをするように瞼の上に触れる。
「お誕生日、おめでとう」
舌足らずな声が、鼓膜を震わせた。
それは、美鶴の声ではない。
(ア、ヤ……?)
意思とは裏腹に、美鶴の意識はゆっくりと薄れていく。美鶴は視界を取り戻そうと、目元にぐっと力を入れた。しかし、眼は手にふさが
れていて、何も見ることはできない。
(アヤ、なのか…?)
それきり、美鶴の意識は途絶えた。
低く震える羽音のような音を聞いて、美鶴は目を覚ます。
顔のすぐ近くで、携帯電話が緑色のランプを光らせて震えていた。上半身を起こすと、美鶴が枕にしていたのは自分の腕で、机の上に突
っ伏して眠っていたことがわかる。右手はシャープペンシルを握っていて、テキストは開かれたままだ。どうやら、明日の予習をしなが
ら転寝してしまったらしい。
パジャマ代わりにしているTシャツが、汗でじとりと湿っていて気持ちが悪い。
美鶴はサブディスプレイに表示される名前も確認せずに電話を取った。どうせ、美鶴に電話してくる人間など限られている。
「はい」
『ハッピーバースデー!!』
うかれた声が飛び込んできて、美鶴は思わず電話を耳から遠ざけた。
「わ、たる……?」
『そうだよ。お誕生日おめでとう。あれ、もしかしてもう寝てた?』
「少し転寝してた」
『え、だめだよ。風邪ひくよ』
机の上の置時計を確認すると、ちょうど0時を過ぎたあたりだ。亘の第一声を思い出し、美鶴は呆れてため息をついた。
「夜中にわざわざ電話しなくても、明日会うだろ」
『だって、一番に言いたかったんだもん』
来年は中学にあがるというのに、亘は小さな子供のようなことを言う。よくもそんな言葉を恥ずかしげもなく言えるものだ。
美鶴は少し熱があがった頬を指の背で撫でた。
一番、と言う言葉にどこか引っ掛かりを覚え、なんだろうかと考える。
―――お誕生日、おめでとう。
唐突に、鮮やかにその言葉がよみがえった。
「一番じゃ、ないかもしれない…」
『え、誰? 叔母さん? それともクラスの女子が電話してきた?』
お姉さんと呼ばないと起こられるぞ、と若い叔母の顔を思い浮かべながら、美鶴は正直に答えた。
「妹」
受話器の向こうが、一旦黙り込む。
『………そっか』
ぽつりと、亘は呟いた。
「うん」
美鶴は頷く。あれは、確かに妹だった。
『……お誕生日、おめでとう』
「………さっき聞いたぞ?」
『だって、速さで負けちゃったから!』
「だから?」
『……回数で勝とうと』
美鶴は亘の答えを聞いて、こらえきれずに吹き出す。
「ばかじゃないのか」
『だって!』
口を尖らせて顔を赤くする亘の姿が見えるようだ。美鶴の笑い声を聞きつけて、亘の声が大きくなる。
『ちょっと美鶴…!』
笑うな、と怒られてもなかなか笑やむことができず、美鶴はいつまでもしつこく笑い続けていた。
07/07/14
一週間遅れですみません・・・。タイトルは某魔法少女をもじっちゃいました;(香川
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