外は蝉が鳴いているだろう。じりじりと肌を灼く陽射しに耐えて、肌に汗を滲ませなが
ら、うつむきがちに歩を進める人々をあざ笑うかのように。
奴らは四方八方から人々をせき立てて、体感温度を上昇させる。一匹が鳴き止んでも、全
てが鳴き止むことはない。途切れることない大合唱。
しかしそれも、今の亘には関係がないことだ。
冷房のために締め切った部屋には、外界の音が届かない。チクタクと規則正しく動く時計
の音が、いつもよりはっきりと聞こえる。ときおりふと思い出したかのように唐突に、冷
蔵庫がブゥンと低く唸る。
亘は手に持ったシャープペンシルをくるくるといじった。塾の宿題であるテキストは、30
分ほど前からほとんど進んでいない。
「疲れたー!」
亘は宣言するようにそう叫んで、テーブルの上にばたりと伏した。正確にはテーブルの上
に広げたテキストとノートの上に。
向かい合う美鶴は亘を気にせずに、黙々とシャープペンシルを走らせている。
「つーかーれーたー」
亘はそれが不満で、試しにもう一度同じ言葉を口にしてみた。
美鶴からの反応は、ない。
(つまんない)
これ以上邪魔をすると本気で怒られることがわかっていたので、亘はため息をついて立ち
上がった。
台所に行き、冷凍庫を開ける。そこには昨日スーパーで買った箱アイスがある。10本入り
の棒アイス。味はサイダーだ。鮮やかな水色が涼しげで、亘は味よりも色が気に入ってい
たりする。
個別包装された一つを取り出して、その場で封を切る。ゴミを捨てながら、我慢できずに
一口かじった。
シャクリ。細かい氷が入ったサイダーアイスは、とてもいい音がする。
冷房のせいか、少々だるい体にじんわりと甘さが染みた。指の先まで甘さが浸透していく
気がする。同じ姿勢を強いられていたために、いつしか強ばっていた体が弛緩した。
アイスを加えながらテーブルに戻る。
美鶴は先ほどと寸分違わない姿勢でノートに答えを書き込んでいた。
ものすごい集中力だ。いつもは人の視線に敏感な美鶴なのに、亘が見ていることに気づい
ていないように、ひたすら問題を解くことに徹している。気づいていて無視しているだけ
かもしれない。亘にはそのあたりのことはよくわからなかったが、怒られもしないので、
アイスを食べながら美鶴を観察することにした。
窓から射し込む光に透けて、色素の薄い髪が金色に輝いている。テキストとノートを一心
に見つめる瞳に、長い睫が陰をつくっていた。薄い唇がわずかに開いていて、そこから少
しずつ息が漏れているのがわかる。
(キスしたいな)
考えがそこまで及んでしまって、亘は焦った。
今まで考えたこともない。美鶴とキス、するなんて。しかも、触りたいを通り越して、い
きなりキスすることを考えてしまった。頭がどうかしてしまったみたいだ。
ただ、美鶴の唇があまりに柔らかそうだったから。
だから思わず考えてしまっただけなのだ。そうに決まってる。
必死に自分を納得させながら、亘は自分の頬が赤くなっていることを自覚した。どくんど
くんと心臓がうるさく鳴っている。冷房のよく効いた室内は寒いくらいなのに、内側から
お湯が浸透していくみたいに、体が熱くなる。
目をそらせないでいた唇が、そのときゆっくりと動いた。
「亘」
「はっ、はい!」
動揺して、亘の声が上擦る。美鶴はいつの間にか顔を上げて亘を見ていた。亘の目をまっ
すぐに見つめて言う。
「アイス」
「え、」
言われた言葉はわかるが、その意図が読めない。
美鶴はちょっと首を傾げて、伸ばした人差し指で亘の腕を指さした。
「垂れてる」
見ると、美鶴を見つめることに集中していたせいで放置されていたアイスが、ぐすぐすに
溶けて腕を伝っている。
「わわっ!」
慌てて布巾はどこかと首を回した亘の上腕部を、伸びてきた美鶴の手が掴んだ。
美鶴はテーブルにもう片方の手をかけて、膝立ちになって身を乗り出している。
美鶴は目を伏せて、引き寄せた亘の汚れた腕を口元に近づけ、突き出した舌で、ぺろりと舐めた。
(舐めた!)
亘の思考がそこで停止する。
美鶴は皿を舐める猫のように丹念に、筋を作って流れるアイスを舐めとった。
冷えた腕を滑る舌が熱い。
美鶴は亘の腕を綺麗にし終わると、自分の唇についたアイスを舐めとった。
「甘い」
そう言って、顔をしかめる。
亘は目を見開いて、口を半開きにしたまま美鶴を見つめていた。
美鶴が何か言いたそうに口を開いて、けれどすぐに閉じてしまう。
唐突に恥ずかしさがこみ上げてきた。亘は耳まで赤くなって、ぎゅっと目をつむる。
恥ずかしいことをした。いや、された?そんなのどっちでもいい。
友達同士でやることではないことを、してしまった。目を閉じても、腕を舐める美鶴の姿
が眼裏に浮かび上がってくる。
恥ずかしい。けれど亘は、その行為を嫌だとは感じなかったのだ。
亘の震え出しそうな唇に、熱い吐息が触れた。
この熱さを、知っている。
柔らかさが亘の唇に押し当てられて、湿ったものが唇をなぞる。
くらり、と目眩がした。
しばらくして目を開けた亘の正面で、美鶴は先ほどと同じようにうつむいて、広げたテキ
ストの問題を解いていた。
亘は言葉もなくその姿を見つめる。
再び思い出したように自分の唇を舐めた美鶴が、吐息混じりの小さな声で、呟くように言った。
「甘いな」
胸の奥がぎゅっと締め付けらる。突然、泣いてしまいそうになって、それを誤魔化すよう
に、新しく垂れ始めたアイスを口に含んだ。
アイスはもうほとんど液体に変わってしまっている。食べ始めたときはあんなに甘かった
それは、今は何故だかほとんど味がしなかった。
甘いのは、なんだっただろう。
06/07/15
初めてのXXネタでした。・・・恥ずかしい!(香川
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